笠間焼きによる器の演出が、
料理を彩ります。
はらだでは、地場産である笠間焼を積極的に用いております。
料理を彩る器は時に、味以上に意味合いを持たせるものです。
お食事の際は、ぜひ器の演出もお楽しみください。
笠間焼の歴史
笠間焼は、江戸時代の安永年間に、久野半右衛門が始めた「箱田焼」と山口勘兵衛が始めた「宍戸焼」が源流と言われています。主に甕や擂鉢などの生活雑器が作られていました。
笠間藩主 牧野貞喜(1758‐1822)と牧野貞直(1831‐1887)は、窯業を重要視して、積極的に保護・奨励しました。生産増加と陶技を後世に継承する目的で貞直が定めた藩の御用窯「仕法窯」に指定された窯元は今も残っており、その火を守り続けています。
明治時代の陶器商田中友三郎の活躍で販路を広げた笠間焼は、一気に知名度を上げますが、大正末期から昭和初期にかけての不景気や、第二次世界大戦、樹脂・金属製品の台頭などの影響で衰退し、存続の危機が訪れます。 そんな状況を打破するべく、1950年に窯業に関する幅広い研究と人材育成を目的とする機関 茨城県窯業指導所が設立され、また1963~1972年にかけては、行政・民間が協力し、全国の芸術家を誘致する事業を始めます。作家用の団地を整備して多くの移住者を迎えました。移住作家と地元の窯元・作家が互いに刺激を受けながら交流を深めていく中で、斬新な表現と技法が生まれ、美術品としてのやきものも作られるようになっていきます。国の伝統的工芸品の指定を受けたことなども追い風となり、再び産地に活気が蘇り現在に至ります。
笠間焼の特長
冗談めかして「笠間焼は特徴がないのが特徴」などと言われることもありますが、これは、先達の仕事を尊重しながら時代の新しい波を受け入れ、何度も息を吹き返してきた笠間焼が育んだ、他に類を見ない表現の多様性を現しています。
伝統的な笠間焼はもちろん、笠間土を使った現代的な表現、さまざまな素材から生まれる新しい技法、といった多彩なやきものの「顔」が見られる、それが笠間という産地の最大の特徴なのです。